第1ターン 1944年  9月〜11月 1944年秋ターン

 リアクション確定 2012年4月29日(日)

1 我々は息をしていたい

 9月1日、ソ連外務人民委員リトヴィノフはチェコスロバキアに対し、最後通牒を発した。
「本大戦における地理的重要性に鑑み、これより7日以内に、ソ連軍の領内進駐を受け入れよ、受けいられざれば、戦争を辞さず」
 この高圧的な報は世界に衝撃をもって受け止められた。 チェコスロバキア国内はこの要求に対して反発を覚え、列国に救援を要請したが、戦争となった場合に十分な期待を持てるだけの返答は待てなかった。 なにより、ソ連のかつてない規模の支援を受けたとみられる国内の共産主義者のデモ、閣内穏健派の存在からくる意見の不一致から、ギリギリまでの対ソ交渉を続ける以上の決心が持てなかった。
 そして、リトヴィノフは折衝に入ると、意外なほどに柔軟に応じた。 「あくまで赤軍の軍事的要請であり、チェコ内政へ干渉する気はない」「連合国から攻撃を受けた場合の安全は全面的に保証する」「チェコへの全面的な経済的支援を実施する」 これらの言葉を完全に信じたわけではなかったが、ソ連軍との戦争による破滅的被害を回避ができるのであれば、チェコスロバキアの態度は日に日に軟化するように仕向けられた。
 9月7日夜、交渉切れ直前にチェコスロバキアが出した対案「ソ連軍のチェコスロバキア通過を容認する」「通過を容認するのは一年間の時限措置」「ソ連軍のチェコスロバキア国内への駐留、基地使用、陣地構築は認めない」という条件を、 リトヴィノフは丸呑みする形で、チェコスロバキアの無害通行権をソ連邦は手に入れることに成功した。
 英仏はこの決断に対して遺憾の意を表明したが、チェコスロバキア大統領はこうコメントを返した。「チェコスロバキアの命運は、大国の会議などに委ねられるものではなく、我々のみが決めるものである。たとえそれが苦しいものであっても、我々は息をしていたい」

「見事な手際でしたな」
交渉に当たったリトヴィノフを、トハチェフスキー元帥が閣議の場でねぎらった。
「完全に満足の行く結果とはいかなかったが、チェコスロバキアを引き込むのはこれからでも間に合う。君の性急さがなければ、もう少し摩擦の少ない手も取り得たのだがね」
 リトヴィノフは苦労の分の嫌味を載せてトハチェフスキーに応じた。
「縦深突破のための広さがドイツ国境だけでは足りないのです。手順を守って戦争に勝ち損ねてしまっては、何の意味もありません」
「チェコはあれでなかなかの国なのだ。もしも戦争になった時に勝てる見込みはあったのかね」
「さあ?やってやれない事はないでしょうが、今回の作戦構想の大きな阻害要因となったことだけは確かでしたな」
「今後の事もある。軍としてチェコをどう処遇するつもりかは伺っておきたいのだが」
「チェコ駐留を予定していた軍は、チェコの北部国境をなぞるようにドイツへと侵攻させることにしました。ドイツでの作戦が終わった時、チェコスロバキアはソ連の中の島国になるでしょう。 どこまで抵抗を続けられるか見物ですな。今後のチェコの取り込みについては、あなたの手腕に期待しております。リトヴィノフ外務人民委員。暫くは我々の時間をお楽しみ下さい」

 トハチェフスキーの立案したドイツ侵攻作戦「バグラチオン作戦」はドイツを南北の両翼から突破し、ドイツ全域を使って敵主力軍を包囲殲滅するという雄大な作戦な作戦であった。 「ラインの水を汲め」の合言葉で送り出されたソ連軍を第一に相手取ることになったのは、エンゲルベルト・ローマイアー上級大将率いるドイツ軍東部軍集団であった。 ローマイアーは両軍の戦力差から、独力での戦線維持は不可能と判断し、エルベ川以東を放棄しての遅滞を下命した。しかし事態は、遅滞から退却へ、退却から敗走へ、敗走から潰走へと段階的に悪化していく。 最初に破局が訪れたのは、ソ連第1ポーランド方面軍の戦車戦力が集中投入されたドイツ北部だった。 ソ連最精鋭の第1、第2親衛戦車が投入され、第二梯団として、プロイセン方面軍の第5戦車軍、第5機械化狙撃軍による追撃を受けたドイツ第2軍は文字通りの「全滅」に近い損害を出しながら後退し、 予定していたエルベ川西岸での防衛線を張る能力を喪失した。ドイツ東部軍集団を収容するためには、健全な部隊が遅滞を代替する必要があり、遅滞を演じきるためには、両翼のソ連軍の突破を防がなければならなかった。

2、戦時体制
 戦時体制の確立努力が各地で行われていた。その最たるものがパリに設置された三軍合同統合参謀本部である。フランスが中心になって、各国のリソースの調整を行うことになり、フランス軍の総司令官に任命されたセー大将がその実現のために尽力することになった。セーには、先行して戦場の人となった同僚ベルティノーを羨む気持ちもあったが、人には「司令官になったって、弾の勘定書を扱うことに変わりはないさ、どうせ数字の関わる仕事は得意分野だ」と言うことにしている。
その傍らでは、ドゥパイユ空軍総司令がドイツ国内での作戦兵站の手配と三空軍の基地使用の調整、防空体制の共通化に向けて書類の戦争を続けている。仏国内に平時展開している部隊を機体ごとに集成して、二つの大規模航空団と戦略航空団、本土防空部隊へと改変する作業だ。そして、カーン海軍総司令が国内の工廠の使用状況や英仏間での警戒水域の割り振りを確認している。これもまた、技術畑を歩んできただけあって精密で具体的なものとなっている。三国の円滑な行動は後方を支える彼らの戦いによって初めて実現可能となるのだ。
遠くインドでも、戦時への対応が進んでいた。マウントバッテン総督の元、アジア方面上級司令部を設置し一新された人事で、インド駐留英軍やグルカ兵の動員が開始され、特にインド北西部での作戦研究が始められた。

3、ベルリン陥落1944
 両翼の躍進を尻目に、包囲中央を担当する軍の進みは遅かった。ベルリン包囲の軍を指揮するのは、東ドイツの将であるパウルスであった。彼に任されたのは、後方警戒要員であった兵を寄せ集めて出来た兵団で、集結までに時間がかかっている点を差し引いてもほとんど抵抗のない進軍にしては遅かった。彼には、味方の突進を援護できるギリギリの位置でベルリン攻略を遅らせるように、東独首班ヤーコブ・マリア・ミーアシャイトから密命があった。どうやら上では何かたくらみがあるらしい。忠実なソ連人となったとはいえ、ドイツ人である彼にとって、ベルリンを少ない被害で取り戻せると聞けば、それに従う事はやぶさかではなかった。

ベルリン市街
「姐サン、ミーアとかいうくたびれたオッサンが訪ねてきていやすが、いかがいたしますか?」
 ベルリン・キティのアジトに訪問者があるという。弱者保護を打ち出しつつも物騒であることは否めない彼女の所にわざわざ訪問客というのは珍しい。
「いいわ、お通しなさい」
彼女は気慰みに会ってみることにした。混乱の極地にあるベルリンにあっては、流石の彼女でも疲れは隠せなかった。
「やあ、こいつぁどうも、お世話をかけているね。フォルクスベルクという街でリーダーをやらせてもらっている。ヤコビー・ミーアという。堅苦しい奴らは、ヤーコブ・マリア・ミーアシャイト、ドイツ自治共和国首班と呼ぶがね」
 場の空気が一瞬で粟立った。傀儡などとは言われるが一国の長が、このゴロツキの溜まり場にわざわざ姿を見せるなどという事は想像だにできなかったことだ。
「そうかい、あんたの声はラジオで時々聞いているよ。ホンモノなのかは知らんけどさ」
「私は<真空の宰相>だからね、いてもいなくてもいい。どこにもいなくて、どこにでもいる。そんなところだね」
「詩人だねぇ、で、いったいぜんたいこんなところに何の用なんだい」
「ヌッふふ、ちょっと明日から君には身を隠しておいて欲しくってね?」
「どういうことさ」
「いやね、ちょっとベルリンを貰い受ける約束を西側としたんだけどね。この街は暴れるだけが趣味の人間が少し多すぎると思わないかい、そういう人をベルリンから追い出す作業をすることになったそうだ」
「ソ連軍か」
「いや、西の人間さ。だから、君を間違って殺しに来るかもしれない。君は暴れたいだけの人間とは違うだろう?」
「当然さ」
「ああいう手合いは要らんよ、そう「私の国」ではね。君にはこれからやってもらいたいことがあるんだからね」
「アタシのようなのを必要と言ってくれるお偉いさんははじめてさ。しかも軍隊よりも先にベルリンに来るなんて酔狂ときたもんさ、決めた。あんたの力になってやる。今後ともよろしく、アタシらのミーア閣下」

 輸送機でベルリンに降り立ったのは、西ドイツ空軍総司令キルシュガイストと軍事顧問ルーデンドルフだった。ソ連空軍は南北の航空撃滅戦ならびに地上支援に注力し、極力ベルリンへの攻撃を控えていた。政治的であり、戦術的でもある判断によって今のところ比較的にベルリンの空は平静が保たれ、「攻撃的任務に用いられない限り」自由に飛び回ることができた。
「では、そっちも手筈通りに頼むぞ」キルシュガイストが短く言う
「承知」ルーデンドルフもムダを省いた答えを返す。元よりルーデンドルフはこのような口ぶりの漢だったが。東西ドイツの高官の間で暗黙のルートを介して結ばれた「紳士協定」に基づいて、非武装都市としてなるべくベルリンを無傷で引き渡すために、彼らはベルリンへと乗り込んできたのだ。輸送機で運ばれてきた空軍直属の降下猟兵部隊とルーデンドルフの傭兵団がベルリン市街へと展開していく。彼らは、官庁街にある機密文書を焼き、騒乱の元にあるベルリンをソ連軍入城までに沈静化させる任務を負っていた。心得違いをした民兵の銃声で、ベルリンを焼き払われないためには必要な措置である。無防備地区宣言では住民による敵対行為が行われない事も要件となっている。残された時間は金よりも重い。

 官庁街から延々と煙が上がる、書類を焼く煙だ。そんな光景を背にルーデンドルフは騒乱の元を絶つ作業を行なっていった。仕上げは郊外の森に集っていた左派系団体の集会を襲撃し、これを「根こそぎ」殺しまわるという作業であった。
「ご苦労だったね。それで頼んだおいた男は見つかったかね?」
「いや、見かけなかった。俺の専門は人探しではない」
「そうかい、でも次の引越し屋も専門じゃないが頼めるかね?」
「把握した」
「報酬は人民の感謝と札束だ、札束はスイス銀行に振り込んでおくから、そいじゃね」
 返答を待たず、男は立ち去って行った。

 ベルリンを郊外まで到達したソ連軍を尻目に脱出作業は続いていた。ソ連邦に捕まったら情報を目当ての対処をされかねない高官、新政府の名分を支える議員、敵に渡すわけにいかない技術者たちをあらゆる機体に詰め込んで西へと向かうのだ。その他の住民は歩いて逃げるか、あるいは、ベルリンでソ連軍を待ち受けるという選択しか残されてはいない。
「おう、遅かったじゃないか。もうすぐ最終便だぜ」飛行場に現れたルーデンドルフ一行を迎えてキルシュガイストは声をかけた。
「悪く思うな、これも仕事だ」
 堅苦しく答えるルーデンドルフに、キルシュガイストは口に含んでいた赤ワインを浴びせた。
「俺が好きな赤はワインだけなんだ。お前の赤は血生臭すぎるんだよ。少し洗っておけ」
「承知」
「本当に詰まらんやつだ。早く行け」
キルシュガイストは輸送機を指さすと、自らも飛行の準備を始めた。この空港から最後に飛び立つ機体は彼が操縦すると決めていた。飛べる機体が全て離陸したのを確認し、キルシュガイストの操縦するFw190が離陸する。安定飛行に入ったところでキルシュガイストは懐から本を出し、破いて鼻をかむ。
「いい紙使ってやがる。あいつらに痔が多いのはアカだからだけじゃないな。あばよ、ベルリン!アカども、悔しかったらこんな紙でケツを拭いてみな!」そう言って風防を開けて共産党宣言を放り投げた。

 威風堂々、ベルリン攻略部隊の指揮官パウルスが、東ドイツ最精鋭の独立戦車旅団を先頭におしたてて入城する。暗殺の危険を顧みず身を乗り出して、並走する車からフィルムを撮らせている念の入れように、周囲は呆れつつもベルリンの主が変わった事を思い知らされるのであった。しかし、そのフィルムは国会前でベルリン・キティの不良たちに守られたミーアシャイトがパウルスを出迎え、あんぐりとした顔をうかべるパウルスまで残さず記録をしたのだった。ミーアシャイトがパルチザンを率いてベルリンを解放したという東独における神話はこうして生まれた。

ベルリンが落ちてからが忙しくなるのが、本当の政治家たちである。産業復興の為にソ連からポルシェが、東ドイツからノイマイスターがベルリン入りして、まだ使えそうな人材、工場、図面の保全に駆けまわる。残念なことに主力戦闘機の設計者や、特にイギリスの要請で念入りに脱出候補に入れられていたロケット技術者は、脱出に成功していたが、不遇故に選ばれなかったそれらの技術者も多く残っていた。
彼らは熱心に占領下ドイツを駆けまわり、「技術の革新が人類の革新を実現させる」とポルシェが技術の再興を、ノイマイスターが「俺が求めているのは一人や二人のエースではない、圧倒的な空軍だ。君たちを置いていった連中を、国ごと沈めるような空軍を作る」と西ドイツへの復讐を説いた。彼らの熱意にほだされ、あるいは、それを背後から薄気味悪い生暖かさで見守るフルシチョフ率いるソ連内務委員の前に、徐々に技術者たちは協力を申し出始めるのであった。

4 ソヴィエツカヤ・ベラルシアを撃沈せよ
 英国海軍軍令部長カニンガムはソ連艦隊の動向の優先順位をバルト海艦隊においていた。ソ連バルト海艦隊の動きにあわせ、スカパ・フローの英国主力艦隊が駆けつけて、これを叩く。第一次世界大戦の「勝利」で確立されたこの形式で、英国はソ連艦隊を封じ込める予定であった。結果から言って、英国の期待通りにはならなかった。今回の敵はドイツではなく、彼らの敵はヴィルヘルム2世とは違った意味で海軍を愛していたからである。
 発端は9月16日ノルウェー沖に哨戒に出していた軽巡洋艦からの定期連絡が途絶えた事だった。当初は潜水艦による魚雷攻撃を受けたのではないかと想定され、近くにいた軽巡洋艦を更に差し向けたところ、レーダー波に大型艦という報告を送ってきた後通信が途絶した。この段階で、英海軍は敵がアルハンゲリスクの女王と呼ばれるソユーズ級2番艦<ソヴィエツカヤ・ベラルシア>と断定。空軍は長距離索敵を開始し、追撃艦隊をノルウェー沖へと差し向けた。しかし、出港の際にスカパ・フロー近くで待ち伏せしていた潜水艦によって雷撃を受けて戦艦<キングジョージ5世>が触雷し、港へ引き返す混乱が発生し、追撃が鈍った。<ソヴィエツカヤ・ベラルシア>は反転して離脱をはかる。
 空母艦載機による濃密な対潜水艦制圧をうけつつ、イギリス艦隊は全速追撃を決断、中速戦艦の<ネルソン><ロドネイ>を分離して追撃を行った。17日午後、トロンハイム北西沖300キロの海域で巡洋戦艦<フッド>、戦艦<プリンス・オブ・ウェールズ>を中心とする高速部隊によって<ソヴィエツカヤ・ベラルシア>を捕捉した。速力差から追撃を避けきれないと判断したソ連北方艦隊は英国艦隊に対してT字を描くように転針、英国側も合わせて転針し、並走する形での砲戦が開始された。砲戦開始から10分で8発以上の直撃弾を受けた<フッド>は戦闘力を失い、浸水激しく総員退艦を命令する。残る<プリンス・オブ・ウェールズ>は更に砲戦を続けるも、機関浸水により航行能力を喪失して砲戦から脱落した。
 なおも英国巡洋艦が遠距離からレーダー追跡を実施、こちらも砲戦に伴う被害によって速力が20ノットまで落ちていた<ソヴィエツカヤ・ベラルシア>に対して、<ネルソン><ロドネイ>を誘導することに成功する。<ソヴィエツカヤ・ベラルシア>はなおも砲戦を挑み、<ネルソン>に4発の命中弾を出すも、両艦の集中砲撃ならびに護衛艦を片付けた駆逐艦隊による水雷攻撃を受けて力尽きて沈没した。

5 鉄床海峡スカゲラク
 しかし、英海軍が勝利の美酒に酔うことは許されなかった。彼らにはもうひとつの急務があった。キールのドイツ艦隊である。既にキール沖には東独艦隊が展開し、封鎖もしくは降伏を促し始めていた。ソ連陸軍の主攻撃正面はキール方面へと足を着実に伸ばしつつ合った。封鎖を解除し、「味方」を説得しに行かねばない。ドイツ西部艦隊司令官デーニッツの意思は固かったし、英海軍でもバルト海へ進出し通商破壊戦を行うと同時にスカゲラク海峡を主要部を機雷封鎖して、ソ連にとって巨大な池にしてしまおうという案が上がっていた。また、フランス海軍も活躍の場を欲していた。「味方」の説得に行くもの、バルト海内のソ連商戦団を撃破に行くもの、ソ連艦隊の出口を塞ぎに機雷を敷設に行くもの、その護衛。英独仏急造りの連合であったが、まがりなりにも連携を機能させていたのは、彼らの司令官の決心の早さと優秀さに依るところによるものであろう。だが、彼らが優秀故に予想できなかった事があった。ソ連海軍を率いる男は、常識を超えて大胆であったのだ。
 ソ連海軍を率いるクズネツォフは17日夜、バルト海艦隊旗艦、戦艦<ソヴィエツキー・ソユーズ>艦上にあった。<ソヴィエツカヤ・ベラルシア>沈没の報を受けた今では、紛れも無く現時点で唯一世界最大の戦艦である。この船を英海軍が混乱している今のうちに遊撃的に使い、北海に乗り入れて通商破壊に使ってしまおうというのだ。出航前に大胆な計画を不安視する周囲に対して、「バルチック艦隊は、ここまで行ったのだ」とクズネツォフは地球儀で対馬海峡を指さした。「北海に出ることなど、これに比べたら散歩にすぎん」トップの異様な迫力に抗することのできる者など、ソ連海軍にはいなかった。そうして、彼はバルト海艦隊主力<ソヴィエツキー・ソユーズ><クロンシュタット><セヴァストーポリ>それに東独最新鋭艦<テルピッツ>を従えて、夜間を突いてユトラント半島を東から北へと向かっていた。

 連合国のバルト海突入の前衛はドイツ海軍西部艦隊であった。ソ連艦隊主力が思いもかけないところに出現した事を知った艦隊司令官デーニッツは、敵が優勢にも関わらず、ただちに突撃を開始した。後ろには脆弱な機雷敷設部隊がいる。戦って時間を稼がねばならない。そして、独力で敵わずとも、後ろには戦艦2隻を擁するフランス第2艦隊と、ヴァイアン提督率いるイギリス巡洋艦隊がいる。仮に負けても彼らが仇はうってくれるだろう。そもそも、装甲艦<アドミラル・グラフ・シュペー>は敵巡洋戦艦の追撃を振り切ることはできない。
 砲火は、砲力に劣るアドミラル・グラフ・シュペーから切られた。最大射程でとにかく機先を制するよりないとデーニッツは判断した。それに対して、クズネツォフは我慢強く、まず距離を詰めるように命じた。どのみち28センチや、20センチの砲など、ソユーズ級の脅威にはならない。距離20000。ソ連艦隊の戦艦主砲が一斉に火を吹いた。それまでと圧倒的に違う水柱がドイツ艦隊の前に登る。
「あれは、わが軍の大砲なんだがな。下手糞め」デーニッツは嘯いた。同時に強気でいられる時間もそう長くはない事は分かっていた。彼もビスマルク級に用いられている主砲の威力は良く知っているのだ。

 ヴァイアン提督の英国巡洋艦隊が戦場に到着した時、既に<アドミラル・グラフ・シュペー>は船首を高く上げて後ろから沈みつつあった。救助にあたる駆逐艦が一隻近くに張り付いているが、最早ソ連艦隊は沈みゆくポケット戦艦など眼中に無く、火に包まれた重巡<プリンツ・オイゲン>に狙いをつけていた。
「よく闘った、次は任せよ」電信と発光信号で伝えると、軽巡の一隻から悲鳴のような電信が帰ってきた「後は頼む」
 入れ替わるように重巡洋艦部隊をねじ込んで、ヴァイアンは迷いなく軽巡以下に魚雷攻撃を命じた。阻止せんと、ソ連側も温存しておいた巡洋艦部隊を前に出して応じる。速射可能な副砲が濃密な火膜を作りあげて、狭い海峡部を更に煙たく染めていく。「どっちを見ても敵だらけだ。撃てば当たるぞ!」と砲手を激励し、ヴァイアン艦隊は魚雷発射までの時間を稼がせるための砲撃を続けた。
 「魚雷投射完了―!」報告を受けたヴァイアンが巡洋艦隊に転身を命じようとした時、ソ連のものとは違った大口径砲の響きを感じた。「遅いじゃないか…枢機卿」フランス最新鋭戦艦、リシュリュー級の姿を見た所で、艦橋に衝撃が走り、ヴァイアンの意識は途切れた。

 敵駆逐艦の魚雷投射を止める事は出来なかった。そして回避する事も現状では不可能だった。新たな敵戦艦、紛れも無く今回襲来した最大の敵に立ち向かうためには、艦の予定位置を変更するわけにはいかない。クズネツォフはそう判断して、新たな敵、フランス戦艦<リシュリュー><ジャン・バール>への射撃を魚雷回避より優先する事を選んだ。
「<セヴァストーポリ>、魚雷複数被弾!」見張り員が報告を上げる。そのまま沈んでしまうかもしれない、少なくともこれ以上の砲撃は無理だろう。これで使いものになる大砲は<ソヴィエツキー・ソユーズ>の40センチ9門と、<クロンシュタット>、<テルピッツ>の38センチ合計10門になった。敵は<リシュリュー><ジャン・バール>で38センチが8門2隻で16門。互角か……、そこまで考えクズネツォフは砲戦の続行を命じた。本来敵主力との殴り合いは避ける予定であったが、まがりなりにも互角以上の勝負が出来る機会はこれ以上にない。
 リシュリュー級が航路を揺らしながら、距離を詰めてくる。前部に砲塔を集めたこの船は、船体の一番広い横っ腹を敵に晒さずに全力を発揮できる。もう何度目かもわからなくなるほどの砲火を吐き出して<ソヴィエツキー・ソユーズ>が吠える。<リシュリュー>と<ジャン・バール>は砲火を<ソヴィエツキー・ソユーズ>へと集中させる。
先に命中弾を得たのは、フランスの戦艦群だった。包みこむように<ソヴィエツキー・ソユーズ>を38センチの砲弾が襲う。しかし、<ソヴィエツキー・ソユーズ>は耐えた。クズネツォフの信頼通りの防御力でもって四度、九発の直撃弾を耐えぬいて<リシュリュー>への反撃を行う。数発が<リシュリュー>を直撃した。そのうちの一発が見事にリシュリュー級の持っていた弱点を突いた。砲塔を集中した故に、場合によっては一撃で全ての主兵装を失う恐れがあったのだ。戦闘力を喪失した<リシュリュー>は戦線を離脱することを選んだ。クズネツォフは連合軍の殿となった<ジャン・バール>へと砲火を集中させた。艦隊は疲労の極みを迎えており、弾も心もとなくなっている。あとは確実に戦果を稼ぐべき時間だった。

動きを止めた<ジャン・バール>に駆逐艦がトドメの魚雷を発射した頃には夜が明け始めていた。これまで脇役として後方に待機していた空母と航空機の時間である。疲労困憊となって後退を始めた両部隊は等しく、空母での追撃を行った。フランス空母<ベアルン>からD520艦載機型戦闘機とLN401急降下爆撃機が、ソ連空母<サハリン>からは戦闘雷撃機Re2001が離陸し、世界で初めてとなる航空海戦の火蓋が切って落とされた。これまで不遇の立場に置かれていた両海軍の空母指揮官にとって、攻撃は満足できるものになった。艦隊のエアカバーを剥がすべく、空母を狙った<ベアルン>航空隊はサハリン甲板に3発の命中弾を出して離発着不能に陥れ、一方無傷で逃亡しつつあった機雷敷設部隊を襲い、銃雷撃によって壊滅的な損害を与えることに成功したのだった。

 16日から断続的に続いた戦闘は、18日夕刻にフィナーレを迎えた。英海軍は推進力を失った<プリンス・オブ・ウェールズ>曳航することにしたが、これに水上艦隊の仇をうつべくソ連潜水艦隊が集結、護衛についていた空母<アークロイヤル>にソ連潜水艦2隻が襲撃をかけ、魚雷4発が命中。英海軍はこれ以上の曳航作業は危険と判断し、<プリンス・オブ・ウェールズ>と<アークロイヤル>の自沈を決断した。

一連の海戦でソ連は北方艦隊の主力艦全てと駆逐艦4隻、バルト海艦隊から巡洋戦艦<セヴァストーポリ>と駆逐艦4隻を喪失し、バルト海艦隊のほとんどの水上艦に長期修理を必要とする損傷をうけた。一方連合国は戦艦<プリンス・オブ・ウェールズ><ジャン・バール>巡洋戦艦<フッド>、空母<アークロイヤル>、装甲艦<A・G・シュペー>重巡洋艦<ヨーク><ケント>、軽巡洋艦9隻、駆逐艦11隻を喪失し、多数の損傷艦を出した。

 「キール封鎖を維持し、北海への潜水艦隊の出口を確保した」ソ連海軍が戦略目標を達成したと見るか、チャーチルが叙述する如く「我らが海軍は大きな犠牲を払いつつも、敵水上艦隊の脅威を排除することに成功した」と見るか、解釈の余地はそれぞれにあるだろう。

6 キール降伏
 先の海戦結果に大きく影響を受けたのがキールのドイツ海軍主力であった。港湾を「格下の」海軍に封鎖されている事に憤る主戦派も、いつまでも「正道」に従って降伏をすることも出来ないの赤軍派もお互いが苛立っていた。上陸すれば派に分かれてケンカし、乱痴気騒ぎをし、敵は外よりも内側にあると考え、誰かがこの状況を打破してくれる事を願うようになりつつあった。その時間は迫っていた。海軍主力に大損害を受けた両陣営にとって非常に魅力的で、放置するには危険過ぎる存在になっているのだ。

 先手を打ったのはイギリスであった、空母航空隊が予備飛行場として利用していた所へスピットファイアと輸送機が次々と着陸した。「何をするのだ」「我々はここの防空をしに来たのだ」「そんな許可は出した覚えはない」「許可などいらない、我々は守るだけだ」「俺達を督戦に来たんだろう、自分とこの船が沈んだから俺達に戦わせようったってそうはいかねえぞ、このライミー」「なんだと、戦わないならせめて黙ってみていろ、このジャガイモ野郎」
 お互いが険悪なムードのまま、沖合に東独海軍、港内に西独海軍、飛行場に英空軍が共存して、睨み合うという非常に奇妙な均衡が続く状態が続いた中、キールにベルリン陥落の報がもたらされた。戦線は確実にキールへと接近しつつあった。
均衡が破られたのはそれから数日した後だった。空を埋めるソ連の輸送機。ソ連の空挺第一空挺師団がキール制圧へと投入された。その最前線の機体に、ベルリン解放の勇士、ベルリン・キティは東独特使として乗っていた。ベルリンを(ほぼ)無傷で解放した彼女の人気をもってすれば、キールの硬い門もこじ開けられる。最悪死ねば死んだで英軍の非道を訴える材料になると判断したのだろう。
全くミーア閣下は人使いが荒い。そう思いながらもキティは今の待遇にそれなりの満足を覚えていた。望むものは車だろうが、放送局だろうが、資金だろうが何でも優先的に回してくれる。これほどの待遇を貰い、英雄として遇されることにキティは酔いしれていた。降下点が近いことを機長が知らせてくる。
「待っていなさい、海軍のみんな!海賊王に、アタシはなる!」そう言って、彼女は空へと降下して行った。
 降下しながらミーアは戦況を見物することなった。輸送機に幅広の丸みをおびた翼をした機体が襲いかかる。あれがスピットファイアかしら、あらやだ、アタシが乗っていた機体落ちちゃった。機長さん悪いひとじゃなさそうだったのに。港内のひときわ大きい船から火線が伸びて、そのスピットファイアを捕まえる。文字通り火を吹いて爆散。ナイスファイアー。いい気味。続いて、大きな火球がその主砲から上がり、遅れてビリビリと響く音。あれが、戦艦の主砲なのね。何を撃ったのかしら。そこまで考えたところで、パラシュートを開いた。

 結果から言って、特使であるベルリン・キティがキールにおいて果たした事は、慣れないスカイダイビングで考えこみ、パラシュートを開くタイミングを間違えて、着陸時に左足を骨折しただけだった。彼女が杖をついてしかるべき交渉相手を見つける頃には、大勢は決まっていた。戦艦<ビスマルク>で起きた反乱によってスピットファイアを撃墜し、主砲が英軍の飛行場を襲った段階で、ほとんどの船がソ連に降伏する立場を決めたのだった。この湾内で、ビスマルクに逆らって生きていられる船は存在しない。かくして、ドイツ主力艦隊は統一されたままソ連に身をゆだねることとなった。

7 南翼突破
 フランス軍としては、万一チェコスロバキアが突破ないし通過された場合は、ドイツ主要土を諦めて、ライン川を防衛ラインとする。そうした明確な構想をベルティノーは有していたが、それを忠実に実現する事は出来なかった。政治的にも戦力的にも、ドイツ東部軍集団を切り捨てることは不可能であったのだ。結果、対処として行えることはチェコ方面への手当を厚くして、当初のヴェーザー川防衛ラインで時間を稼ぎつつ、ドイツ軍を収容して後退という、消極的で折衷的な選択肢となってしまった。
 ボヘミア方面の抑えは東からケムニッツに独第3軍、ブラウエンに仏第4軍、ニュルンベルクに仏第2戦車軍であった。ドイツ第3軍は後退戦で消耗しており、東からゆっくりと押してくるコーネフ軍(6個師団基幹)に押されていた。ベルティノーは仏第4軍を撤退支援に割り当て独第3軍を仏第3軍の守るエアフルト方面で収容、その後ケルンへと撤退させようと試みた。こうして連携する部隊を失ったニュルンベルクの仏第二戦車軍を、チェコを通過してきた第二ポーランド方面軍第一梯団(第3、4戦車軍および第3、4機械化狙撃軍、第1山岳狙撃軍、東独第2師団 16個師団)が痛撃した。
 ニュルンベルク市での遅滞を実施しなければ、南翼突破を経てマジノラインを超えてフランス領内へ進行される恐れがあった。本来機動防御に用いるつもりであった第2戦車軍に、やむを得ずベルティノーはニュルンベルク市の死守を命じた。中部ドイツを固めていたフランクフルトの仏第2軍(8個師団)、仏第1戦車軍(戦車5個師団)への援護に入るように指令した。  
 ウボレヴィッチ元帥は縦深理論に基づき、広正面拘束と、機械化部隊による突破を企図していたが、市街地という地形、チェコという補給、攻撃路が一本しかないという状況ではその実施は困難であった。結果として迂回攻撃を試みる仏第1戦車軍に対して、倍する数の歩兵(12個師団)を叩きつけることで足を止め、仏第2軍をほぼ同数で足止め(9個師団)したところで優勢ながらも膠着状態に陥った、都市を圧倒的な歩兵で掃討し尽くすには第三梯団(9個師団)の到着が必要となった。
 十分な時間を耐久したと判断したベルティノー将軍は、更に中央戦線を維持していたカッセルの仏第1軍を呼び寄せてニュルンベルクからの後衛戦闘を指揮した。追いすがる敵を歩兵で足止めして、かき集めた戦車で側面攻撃をしかけて崩し撤退する後衛戦闘をきわどい所でこなし、西への後退を実現させた。激しい抵抗を排してニュルンベルクを奪取したウボレヴィッチ元帥は、チェコを使わない補給線の確立、コーネフによるドレスデン=ニュルンベルク間掃討を待ちつつ部隊を再編し、再度の突破実施を企図する。予定では、冬の前にエッセンでジューコフと握手するはずなのだ。

8 北翼阻止
 本来、ライン川へと防衛線を引くはずであった英軍であったが、こちらも後退が許されなかった。原因はフランス軍より多かった。まず第一に南翼と同じ理由、ずるずると後退しつつあったドイツ第2軍の撤退援護であり、第二に南翼が崩壊しつつある今となっては包囲の口を狭めるわけにはいかないという理由であり、第三は、この段階では、まだフランス経由の補給を英軍が確立できていなかったという理由である。上陸した英軍は、補給港であり、大陸への橋頭堡たるウィルヘルムスハーフェンを失ってしまった場合は、活動を続けられる体制にまだなっていなかった。そこで、英大陸派遣軍モントゴメリーとしては遺憾ながら、ヴェーザー川に前面展開した防衛線を死守するために、防御に最も有効な地形障害に頼らざるを得なかった。河川、都市、そして海岸である。
 息絶え絶えになったドイツ第2軍を収容するために英軍はブレーメン市街と橋を守る。
 そしてヴェーザー西岸は北から独第4軍、独第5軍、独第6軍と順に独西部軍集団所属だった部隊が並んで守る。機動予備として敵が橋頭堡を作った時の打撃部隊に使用する独第2装甲軍、フランス空挺師団と合わせて30個に及ぶ重厚な布陣でモントゴメリーはジューコフを迎え撃つ。
 この時ジューコフが北部ドイツで使用出来たのは自前の主力部隊第1、第2親衛戦車軍、第1、第2機械化狙撃軍、第1、2軍、予備として追随させた7、8、9軍の合計18個師団とプロイセン方面軍から第5戦車軍、第5機械化狙撃軍、第19、20、21軍と東独第3師団の14個師団。 ジューコフはブレーマーハーフェン、ヴィルヘルムスハーフェンへの突破をプロイセン方面軍へ、予備指定していた7,8、9軍を南への圧力とし、主力である戦車軍でブレーメンの英軍を突破、戦線後方のミュンスター。カッセルへ抜ける事を企図した。ジューコフが失念していたのは、自らが進むのが大洋の海岸際であり、衰えたりとは言えど海はロイヤル・ネイヴィーの友であるという事である。
 沖合から地上支援を命じられていたのは、地中海から引きぬかれた旧式といっていい戦艦<ウォースパイト>だった。先の大戦では要塞砲との直接射撃では陸砲に敵わないと言われた艦砲だったが、野砲として見た時には巨大な存在であり、自前で観測機から測距まで可能な自己完結した砲兵として、20年以上の洗練を重ねてきた。その成果を陸から攻め上げるソ連陸軍に対して猛烈に振るった。一隻で陸軍師団7個分に相当すると評されるほど徹底した猛射を加え、完全にソ連軍前衛を破砕することに成功した。
 ジューコフは航空隊による撃破を要請したが、航空攻撃をかけるソ連の前に立ちふさがったのが、当時世界最高峰の防空警戒システムを構築したダウディング率いる戦闘機部隊と、正確無比な対空射撃システムを誇るドイツ対空砲部隊であった。前面で戦闘機の迎撃を受け、地上を超えるときに対空砲の射撃を、最後に艦隊そのものの防空システムを抜け爆弾を投下したとして、戦艦の分厚い装甲を射ぬくことは、小型の爆弾を多用するソ連空軍にとって至難の技であった。火力優勢、航空優勢というソ連軍がそれまで維持してきた優位点がただ一隻の戦艦によって吸収され、防衛線に数的に対抗できる陸上戦力を揃えることによって、ソ連の優位点が失われた。
 空軍が何発もの命中弾を出し、ようやく<ウォースパイト>を後退させたにも関わらず、英国が残された最後の稼働戦艦<ロドネイ>を投入してきた事で、ジューコフはこれ以上の攻勢が不可能と判断し、攻勢切り上げを決断した。開戦以来、はじめてのソ連撃退に成功したことをイギリスが連れてきた報道員はことさら大きく取り上げ、戦意を駆り立てた。


9 ショック・オブ・レイキャビク

 仏外相ジョルジュ・ビドーは憂鬱な思いでレイキャビクへと降り立った。戦争調整に忙殺されるなかで彼が苦心して纏め、ここレイキャビクで開催される「戦時通商関係調整会議」が当初の目論見を外れて情勢が悪化していたからである。
 本来は、ここは英海軍の機雷敷設によるバルト海の内国、フィンランド、スウェーデンの通商途絶を補うための会議であった。しかし、前月のスカゲラック海峡海戦によって、連合会軍は大損害を受けた結果不可能となり、北海へとソ連潜水艦隊が解き放たれた。結果として、北海、バルト海経由の航路はソ連潜水艦による損害が相次ぐことになり、連合の制海権にも疑問の声が出るようになってしまった。
 ただし、そのような事はこれから待つ北欧諸外相にはどちらでも似たようなものだった。大国間の戦争の結果、彼らにとって自国向けの航路が止まる事には変わりがないからだ。
 ビドーをまず待っていたのは、苦い顔付きの英外相と緊張した面持ちの「西」ドイツの新しい外相であった。元々英海軍による機雷敷設に対して、北欧諸国との関係を悪化させると反対していたビドーの前に立つ英外相は、ビドーよりも気鬱な会議であろう。ビドーはその顔にわずかばかりの満足を覚えると、二人に挨拶を交わした。西ドイツの外相はベルリンから命からがら逃れてきた外務官僚で、英語とフランス語に不自由しないという理由で選ばれた男である。緊張を少し柔らかくしておくか、とビドーはドイツ外相に言った。
「あなたは英語に堪能だと聞いている。是非とも彼との通訳をお願いしたい」
 同じくフランス語に長けた英外相がドイツの外相の肩に手を載せてフランス語で応じた。「いやぁ、これは大任を任されましたねぇ、ひとつよろしく頼みますよ」
 三人の顔に笑い皺が浮かんだ。連合の盟友を確認したところで、交渉に望むこととなる。通商に関係するアメリカ、ベルギー、オランダ、そして戦時通商の「被害国」である北欧のノルウェー、スウェーデン、デンマーク、フィンランドの外相たちと交渉をまとめなければならないのだ。

 ノルウェー経由の陸輸の拡大、通商破壊戦に巻き込まれた場合の補償について、各国がそれぞれの意見を述べて、論点を洗い出していた頃、米国務長官が耳打ちを受けて蒼白な顔になって挙手して発言を求めた。
「諸君には大変すまないが、私は本会議から退出することになった」
 突然の発言に皆があっけに取られて次の言葉を待つ。
「我らが大統領ウェンデル・ウィルキーが心臓発作で死亡したとの知らせが入った。後任のマクナリー副大統領から、ただちに一切の交渉をうち切って帰国せよとの命令が届いた」
 皆が唖然とした顔を浮かべたまま、固まってしまった。アメリカは今選挙中のはずだ。これからどうなってしまうのか。そもそも大事ではあるが、この交渉の場を纏めずに一国の外相を呼び寄せるほどの事なのか、何かより重大な事があったのではないか。
「大統領代行殿は、よほどヨーロッパの外交が複雑怪奇なものに見えるようですな」
 そんな空気を割って、ビドーは皮肉げに言った。元々この程度の事で主要国の外相を集めるというのは確かに大袈裟であった。これは東側に何らかの密約の存在を疑わせるために意図した措置であったが、どうやら、はるか西側に先に同じ効果をもたらしたようだ。
「私は副大統領ではないので、彼がどのような世界観を持っているかは知りません」
 残念そうに、国務長官は言った。おそらくはビドーの想像通り、モンロー主義者で外交過程から除外されていたマクナリーが、この場でヨーロッパの戦争に関わる何がしかの密約が交わされる事を恐れて召喚命令を出したのだろう。
「お急ぎのようなので、僭越ながら私が代表し、ヨーロッパより、アメリカの偉大な大統領の死をお悔やみ申し上げる。それと、是非とも合州国の主権者たる国民にお伝え下さい『世界は常に一つであると』」
 ビドーは礼をして去っていく国務長官の後ろ姿を追いながら、もう国務長官としての彼と会うことはないだろうと予感していた。これほど無様な交渉を晒した政府を許すほど、合衆国市民は優しくはないだろう。

 後にレイキャビク会議と呼ばれるようになるこの会議は、それ自体で決まった事には大した事はなかった。しかし、この会議が決めた事は大きかった。国務長官召喚命令を出した新大統領マクナリーは直ちに、「次期副大統領」候補ヘンリー・ウォレスに批判されることになった。この論争は、ウィルキーというカリスマによって調整されていた共和党内の孤立主義と国際主義の対立を再燃させた。このゴタゴタを見せられ、折から高まっていた反ソ反共の世論をより受け止める事ができたのは、民主党のトルーマンであった。11月、アメリカの国民投票は圧倒的な支持でもってトルーマンを次期大統領に選んだ。

10 攻勢終末点
南翼を率いるウボレヴィッチ元帥は、フランクフルト・アム・マインにて攻勢を終わらせざるを得なかった。北翼攻勢がヴェーザー川を越えられず、ライン西岸にフランス軍主力と第二陣の陣地を張ることを許してしまったからである。これ以上の戦線の伸張は側面攻撃を呼び寄せる恐れがある。状況を把握したトハチェフスキーの指令によって、中央の軍を前進させて戦線の整理が行われた。マクデブルグ・ライプツィヒで停止していた部隊をヴェーザー川東岸、ゲッティンゲン・フルダまで前進、ドレスデンにあったコーネフ軍をニュルンベルクへと進めて南側面を固めた。
 一方、連合軍もソ連の再編の際にヴェーザー東岸の陣地を整理し、ブレーマーハーフェン、ブレーメンを放棄しライン西岸陣地への移動を容易にした上で、ヴェーザー川に海岸からカッセルに至る抵抗陣地線を形成した。メレにドイツ軍戦車部隊が集まり予備として控える。戦線中央にはフランクフルト・アム・マイン北西のギーセンに仏第3軍が構え、エッセン方面への阻止と南北の結節点を形成し、ケルンではドイツ東部軍集団残余とフランス第2戦車軍が再編・補充を行なっている。ケルンからフライブルクに至るライン川防御線に仏第1軍、第2軍が並び、フランクフルト・アム・マイン対岸の突角点には仏第1戦車軍の支援を受けて、仏第5軍が構え、南に第6軍、第7軍と並んでスイス国境に至る。後方のメスに総予備として充足の終わった仏第3戦車軍が控える。こうした状況で双方が次の手の為の準備期間へと突入した。

11 継承・謀略・反響
 ベルリンから逃れてきた議員の過半数の賛意を受けて、アデナウアーはドイツ大統領の座を継承することを宣言した。 事実上の非常時大権を行使してきたアデナウアー以外に、この難局を乗り切る能力はないというのは衆目の一致するところであった。尤も、一致しなかった者でケルンまでたどり着けた者はまれだったが。 アデナウアーはバイエルン州政府首相ワレンシュタインを首班として組閣を命じた。 チェコ国境という「最前線」になりながら、ソ連侵攻のギリギリまでアデナウアーの政府に各自治体が従うように説得に回り続けてきたワレンシュタインが、 新しいドイツ首相になることに、異論を挟むものはケルン政府には居なかった。
 しかし、彼が、未だソ連の手が伸びていないミュンヘンを捨ててケルンに行った事は、地元の失望を買っていた。 ニュルンベルク攻防戦以後、西進することに専心したソ連軍と、ラインの守りを固める連合軍の両方にとって、 ミュンヘン一帯のオーバーバイエルン地方は忘れられていた。 忘れられた地域においては、ドイツ、そしてその後任を自称するケルン政府に深い失望が広がった。
 この状況にイタリア統領ムッソリーニが動いた。バイエルンの独立運動を煽り、独立の暁には軍事上の保証を与えると約束した。 この動きにソ連のチェコへの高圧的外交に危機感を強めていたオーストリア・ハンガリーの両国が追随した。 オーストリアには、かつてミュンヘンを根城とした政党の主だった、アドルフ・ヒトラーが在住しており、 ハンガリーには、元バイエルン王家の人々が居住している。そして、この首謀者の名前はムッソリーニ、彼が治める国イタリアにバイエルン王太子は滞在していた

「溺れるものは藁をもつかむ、か」力なくイタリアからの通知を聞いたワレンシュタインは言った。意見集約に走りまわった自分の統治していた場所からの離反の動きに落胆を隠せないでいる。
「君が連れてきたスタッフの中にはミュンヘンに家族を残しているものもあろう」遠まわしにアデナウアーが気づかいを見せた。
「彼らが共産圏ではない勢力に保護されるのならば、一つ良い点かもしれない」
「兵の中には家族を東に残してきたものがたくさんおります。彼らの前で言えない事を言わないで下さい」ワレンシュタインが鋭い目で注意する。
「しかしね、これをもしソ連側が承認したら、この戦争は終わるかもしれない」静かにアデナウアーは説いた。
「この戦争の大義名分は、ドイツの統治権の争奪だ。その合間にドイツの一地域の独立を認めてしまったら、東ドイツ政府はその正当性の根拠を失う。いや…失いはしないか、しかし、バイエルンの独立が認められるのならば、西部諸州が独立した別国家を作ることにも正当性が認められることになる」
「…つまり、その時は我々の政府を、ドイツではない国として承認するとでも?」
「有り得ない話ではない。現在確保している地域でソ連は十分な成果を上げたと言えるし、フランスは満足できる緩衝国を確保できた。手仕舞いを考えてはじめてもおかしくない」
「それはドイツを諦めることです。許容出来ることではありません」
「確かに、そうなるかどうかは分らない。バイエルンは認めても我々の存在は認めないかもしれない。ただ一つ分かっていることがあるとすれば、我々、いや連合国にはミュンヘンを守る力はないということだ」

「それで、カニンガム君、君の用兵家としての所見を聞きたいのだが」
チャーチルは一段と不機嫌にスコッチを舐めて、外務省と海軍省の報告に目を通しつつ問うた。深夜の個人的な相談に応じたことを、カニンガムは後悔した。
「今、イタリアとスペインが行動を起こした時、ジブラルタルとマルタを守れるかね」
言い難い事ではあるが答える義務があった。
「閣下、現時点でそれは不可能です。半年か一年は耐えて頂かねばなりません」
「そうなった場合…」
「少なくともその間、アジア植民地は日本の攻撃に対して無防備になります」
「つまり、我々はイタリアと戦えない。そういう結論か」
「用兵家としての意見はそうなります。無論、軍人としての私は、いかなる場合もあなたの命令に従い全力を尽くしますが」
「よく言ってくれた」
「短期的には全く防衛の確信が持てません。対枢軸戦争回避に極力御努力をお願いします」

「ふむぅ、あの男は火事場泥棒を考えさせたら一人前だな」
 パリで同じ報をうけたドゴールも不機嫌そうにうめいた。
「どう致しますか」
「ふむ、いっそのこと無視するというのも手かもしれぬ」
 ポンピドゥーの問いにドゴールは薄く笑って答えた。
「どうせ、賛成も反対も有形力が伴わなければ意味がない。あの手の手合いに関わるとロクなことがない。火の粉が飛んで来ないようにお祈りにでも行くほうが有意義だよ」

「オーストリア・ハンガリー・チェコの我々に対する反発か、ハプスブルクの亡霊共だな。仲良く豚の頭でも拝んでいればいいものを」
 リトヴィノフの報告をうけたトロツキーはそういって吐き捨てた。
「バイエルンの分離は連合国にとって打撃になります。何より西側の首相の地元が離反したとなれば、その心理的な影響は大きいものになるでしょう」フルシチョフが指摘した。
「予定通りの包囲殲滅には至らなかったが、ドイツの軍勢はもう回復困難だろう…」
トロツキーがトハチェフスキーに確認する「バイエルンを軍事的に奪取することは可能か」
「疑いなく可能ですが、チェコならびに中欧諸国が一斉に離反した場合、対西欧戦争との両立には厳しいものがあります」
「今はイタリアをなだめておくべきか、たかが南ドイツの1州程度、我々の前衛がパリまで突入した後で、好きに回収が可能だ」
「ただ、ドイツからの分離を認めると、ドイツ国内の反発が生まれる可能性があります」フルシチョフが念のために述べておいた。ドイツの治安に何かあった時に責任を負わされるのは彼である。
「心配ない、それで東ドイツが割れるならばそれはそれで良い。…実を言うと私はドイツが好きなのだ。多ければ多いほどいい」
 一同はそのジョークに合わせ爆笑することを強いられた。

12 未来への咆哮

 第1前線航空軍司令が過労で倒れた結果、結局、前線航空軍のほとんどを仕切る立場になったマカロフは、今季の戦闘報告書を読み込んでいた。分析と運用の巧みさで今の地位を得てきたマカロフにとって、これは参謀たちに任せることのない作業なのだ。
 ソ連機の被害は、初期は第2航空軍に、後期は第1航空軍に集中して発生している。第2前線航空軍はチェコへの作戦展開が出来なかったため、前線支援に長駆を強いられた。そこをドイツ南部に集中展開したフランス戦闘機隊に叩かれた。数で劣り、航続力の関係で、十分な戦闘が展開できない状況では損害は大きくなる。これは、ドレスデン、ニュルンベルクへと前線を展開していくことで改善されていった。
 問題はこちらだ、と第1前線航空軍の方を再検討する。的確な戦闘機運用、ドイツのジェット機、対空砲火。様々な要因が重なり、キレルシオが1:2を割り込んでいる。慰めはドイツの地上攻撃機には大損害を与えている点だが、連合国全体で見れば、これも許容できるレベルで収まってしまっている。
 初手の損失は、連合国、ソ連ともにお互い埋める事が可能なレベルだ。ソ連の補充力は大きく、今のまま空の戦場が展開すれば、「負けない」ことはできるだろう。しかし、このままがいつまでも続くのであろうか、例えば、低地諸国への侵攻を命じられた場合は?ロンドンは?あるいは、アメリカが参戦して重爆撃部隊を迎え撃つことになったら?マカロフは前線で闘いつつも、未来の空軍の事を考える必要があるのだった。

「イヤハヤ、何ともあの戦の時はお見苦しいところをお見せしましたな」車椅子姿のヴァイアン提督が、感慨深げに建造中の戦艦<フリードリッヒ・デア・グロッセ>を眺めるデーニッツ提督に声をかける。スカゲラク海峡海戦では、敗将として、あわや、水漬く屍になりかけた二人である。
「お怪我は大丈夫でしたか」
「なに、断片があちこちに刺さった程度、しばらくすれば治ります」
「それは良かった。次の戦場では、またあなたとともに戦えると良いですね」
「この戦艦、船体だけでもハンブルグから逃れる事ができて何よりでしたな」
 ヴァイアンもデーニッツの視線の先に映るフネに視線をやる。
「残念ながら、大砲は間に合いませんでしたが、物持ちの良い大英帝国のお陰で、38センチ砲を回して頂けるということですから、どうにか少しの遅れで形になりそうだと」
「誠にめでたいことですな」
「それにしても、ソ連の潜水艦を押さえ込んでいる英国の哨戒網というのは凄いものですね。潜水艦乗りだった私としては、冷や汗が出ます。こんな海軍と戦おうと作った艦隊の挙句があのザマです」
「そうですか?あなたには悪いですが、私は嬉しいのです。復讐戦は派手な方が盛り上がる。あなたはこのフネでソユーズ号をお願いします、私はビスマルク号を殺りますので」
 そういうとヴァイアンはカラカラと不敵に笑った。敗将とは思えないほどの元気に、デーニッツは大英帝国のタフネスさと余裕を痛感させられた。

13 枢軸
 バレアス海中央に浮かぶスペイン領マリョルカ島、欧州における大日本帝国海軍の存在を一身に示す戦艦<大和>はその地に港を移していた。遣欧艦隊と正式に名前がつけられたこの艦隊を率いる伊藤誠一中将は、憮然とした表情を浮かべていた。
 軍政畑が長い彼とはいえ、欧州外交そして本国内政の複雑怪奇な変化を把握しながら状況を動かしていくことは身に余るほどの難事であった。
「はたしてフランコは動くかね、こちらからせっつくにしても、流石の大和もマドリードまで大砲は届かないからな」
問われた通訳役の海軍嘱託職員は講義で鍛えた明朗な声で答える。
「フランスとの関係改善は進んでいるようですが、まだ決定的な関係改善ではありません。それに人というのは背の安心が得られれば前に出たくもなるものです。英仏がイタリア=スペイン間の連携を崩しにかかった以上、我々が英仏間の連携を崩しにかかって何の問題がありましょうか。今、我々が地中海に威を示して対抗措置をとらねば、同盟は解体させられてしまいます」
「押されれば、押し返さなければいけないか」
「ええ、しっぺは返さねばなりません。バイエルンの策も同じ事です。チェコスロバキアという盾が無効化された中欧諸国は、ここで巻き返しをしておかねば、国家の危機を迎えるでしょうその危機感の総体が空隙となっているバイエルンへの工作です」
「ドーチェの策謀は、いささか急めいた感があるが、大丈夫だろうか」
「この程度の策略、常に考えていなければヨーロッパの独裁者は務まりませんよ。オーストリアがヒトラーの、ハンガリーが元バイエルン王家の亡命を許していたのは、こういうことのためですな」
「しかし、軍事動員はそうもいかぬだろう。もしも事が起きた場合は大丈夫か」
「私は軍人ではないので、本職の方に対して言うのはおこがましいですが、オーストリア・ハンガリーはドイツへの対策で動員が実施されておりますし、イタリアも現役師団は充足が完全に終わっています。スペインもまぁ、ジブラルタル近郊で演習くらいはやってくれるでしょうから、東西どちらともぶつかったとして、緒戦で危機的状況に陥ることもないでしょう」
「実際のところ、どうなのだろう、ムッソリーニ氏の思惑は」
「動員の状況を考えれば、イタリア・スペイン、それにわが国が、西側諸国やソ連と真っ向から戦った場合、相手側に致命傷を与える事は出来るかもしれませんが、恐らくその間に絶命するでしょう。両陣営が弱っている今のうちにバイエルンを承認させて威を示し、中東欧に反共中立の勢力圏を築く事にあるかと」
「そう上手くいくかね」
「行かなければ、我々はこのフネが沈むまで暴れるだけですよ。今が連合国海軍が最も弱い瞬間でしょう」
 参ったね、と伊藤は欧米風に肩をすくめた。

第三国外交データ

画像クリックで拡大

inserted by FC2 system