プロローグ

GEGEN JAPAN


1956年5月某日 総統大本営 ティーゲルシェンツェ(とらのあな)

 総統大本営にはドイツ第三帝国を牛耳る顔ぶれが揃っていた。ドイツ三軍の長と親衛隊全国指導者、そして彼らが総統デーニッツである。 彼らは第三次世界大戦の核災害とそれにともなうヒトラー暗殺を巡る大内紛を幸運にも生き抜けたことによって現在の地位を得た男たちである。
「…このように朝鮮、日本の両戦線で連合国の介入により膠着状態に陥っています」
 まず全般状況について述べたのは親衛隊の長ハイドリヒであった。アジアの事は主に衛星国となったロシアが担当しているため、ドイツの軍事部門としては国外に強いネットワークを持つ武装SSがこの戦争における情勢に明るい。
「しかし、他人事の戦争の分析とは楽しいもんですな」
 陸軍総司令官バイエルラインが述べた。戦争を調整するのはドイツだが、戦争で死ぬのはドイツ人では無い。加えてロシア、大日本帝国といった有力な外様が勝手に戦力を消耗してくれるなら、相対的にドイツは強化されたと言える。彼にとっては気楽な戦争である。
「果たしてそうとばかり言っておれますかな?」
 ハイドリヒの皮肉な口調にバイエルラインはむっとした顔を浮かべる。地上戦力の整備において、ライバル関係にある二つの組織は設立してからこのかた、組織としての仲は最悪と言ってよい。
「アメリカが沖縄に艦隊と師団を集結しているという情報が入ってきております、日朝どちらに来るにしても戦局が大きく変わることもあるでしょう。そうなった時には我々が支えざるを得なくなってしまいます」
「おそらく来るのは日本戦線だろうな」
 二つの地上軍事組織のやりとりに口を挟んだのは海軍総司令官チリアクスであった。
「連中にとってみれば、どちらかといえば切迫度が高いのは日本であるし、一ヶ月ほど前から朝鮮支援の艦隊が日本近海で活動している。主攻正面の戦力を削る奴はいない」
 その場にいる全員が頷いた。連合が東アジアで戦況を支えきれるのは策源としての九州の存在故であり、九州に最も深く刺さっている矢がヤマグチの大日本帝国軍に他ならないことは明らかであったからだ。
「なあ、チリアクス。アメリカは何処に来ると思う?」
 海軍出身の総統は、かつての部下に以前同様の気安さを保って尋ねた。苦労を重ねたせいか、いささか顔に浮かぶ皺が増えたことはデーニッツ本人も自覚しているが、 いかなる時にもこの種の明るさを無くさないことが彼を優れた潜水艦乗りとしていたし、今は戦災に荒れたドイツ国民に安心を与えている。
「難しいですな、何せ対象とできる範囲が広すぎて」
チリアクスが唸った。
「野放図に戦線を広げるのはかの民族の得意技だからな」
バイエルラインの合いの手に場に嘲笑が漏れる。かつて大東亜共栄圏なる勢力圏が、米軍の前にわずか数ヶ月で霧散したという事実は、欧州では今も失笑の対象である。まあ、尤も、東方生存圏なるものを目指して戦争を始めた先代を持つドイツ人が笑ってよいのかは別だろうが。
「トキオ、ナゴヤ、オサカ、ヒロシマ、あるいは直接に首都ニイガタ。連合国の選択肢としてはどれもありそうで困りものですな、彼らの空母艦隊ならよほどの間抜けが指揮しない限りどこを狙っても制空権はとれるでしょうし」
チリアクスの回答を受けて、歴戦の空軍総司令官にデーニッツは尋ねた。
「うん。ケッセルリンク、仮に私が君に日本における制空権を連合軍に渡すなと命じた場合、空軍はどれくらいのことができる?」
「今すぐにはほとんど何も出来ることはありませんな、総統閣下。現状は先遣として一個戦闘大隊がニイガタ沖の島に居るだけですから。御命じくだされば一個航空団程度の派遣は可能でしょう。それ以上ともなればいささかの御配慮が必要になるかと」
「予算が欲しいならくれてやる。ただし、我々が本気を出す以上、遅れをとることは許さない。準備を怠らぬように」
「御意に」
「総統閣下!日本は島国です。制空権だけでは守れないことは英国を失った我々は良く知っておりましょう」
「チリアクス、私を誰だと思っているのだ。無論海軍は必要だ。しかし主力艦が軒並み先の戦争で海の底に沈んだ我々に追加派遣する余力があるのか?潜水艦も全戦力の三分の一を極東に派遣している。これ以上は無理だ。今は艦隊再建に全力を捧げる時だ」
「当面、極東はロシア海軍に頼るほかはないということですか」
「当面…というよりはおそらくは半永久的にな、残念ながらどこまで行ってもドイツは大陸国家だ。英米と建艦競争をすれば大西洋どころか北海の制海権まで危うい中では、他の地域は同盟国に依存するより他にあるまい。無論要所は押さえる。ウラジオには<バルバロッサ>があるからそう易々とロシアに主導権を渡すこともあるまい。ご苦労だが今の状況でなんとかやってもらうよりないな」
「…わかりました」
 不満げに間を置いたチリアクスの返事であった。デーニッツ自らも海軍軍人として判断するならば、海軍が劣勢のままなことには、納得などできようはずも無い。自らの手に世界の半分を統べる権力を有してなお、祖国は海軍については二番手にもつけない現実、世界に冠たるドイツが!しかし、デーニッツは今や総統であった。自らのノスタルジーを満たすために国家を破産させるような真似が出来るはずも無かった。
「なににせよ、海の上で勝つのは難しい。先の戦争同様に我々が勝つとすれば陸だ。バイエルライン?」
「陸軍は現在極東に展開できる部隊はありません、しかし…」
「皇帝陛下、こんなこともあろうかと私の武装SSはウラジオストクに日本人部隊を編成しておりますぞ」
 話の途中に割り込んで、独特の呼称でデーニッツを呼ぶ親衛隊指導者を毛虫を見るような目でバイエルラインが睨んだ。SSではデーニッツのことを皇帝陛下と呼ぶ。当初はアーリア人崇拝の権化として設立された親衛隊だったが、人員確保のために外国人から志願兵を募ったため、いつしか欧州の多民族融合の先駆け組織へと場当たり的に変質していた。皮肉というよりない現実だったが、彼らはデーニッツをドイツの元首としてではなく、欧州全体を統治する皇帝として遇している。彼らの忠誠はドイツ国家以上に、皇帝たるデーニッツ個人へと帰着する。あくまでドイツ国家の守護者たらんとする国防軍は、自らを皇帝の私兵と称する武装SSの態度を嫌い抜いていた。
「わかった。日本からの要請があり次第、義勇兵として派遣できるように準備を始めてくれ。バイエルライン、続きを」
「3ヶ月以内にウラジオストクに部隊を派遣するようにいたします、総統閣下」
「おやおや、空軍の降下猟兵ならば1ヶ月内でウラジオストクに展開できますよ」
 先の言質で気をよくしたケッセルリンクが軽やかに続けた。――誰も彼も同じか、結局はこの戦争に関わって予算を増やしたいのかと思うとデーニッツは笑い出したくなった。戦意旺盛、大いに結構なことではないか、あとは私が手綱を締めるだけでよいのだから。第三次世界大戦の終わりを告げた原子力戦争、あの惨劇を繰り返さぬように。




ウラジオストク

 その日ウラジオストク軍港は珍しい客を迎え、軍港に似合わぬ黄色い声に満ちていた。 ロシア共和国総統ラブレンチー・ベリアと彼が学校長として直卒する国立聖ベリア女学院の学生達である。
「はい、みなさん、静かに。大将さんの話を聞いてください」
 ニコニコと笑みを浮かべながら一個中隊ほどの女子高生を従えるベリアの姿は閲兵式に臨む国家指導者というよりは修学旅行中の女子高生を引率する校長に近かった。
「…こちらがロシア最大の戦艦エカテリーナです。スターリン時代にドイツによって鹵獲されましたが、偉大なるベリア総統がドイツと交渉をなさった結果ロシアへと返還され、船体部分のみを作った後にウラジオストクまで回航して、日本海軍の技術支援を経て完成させたものです。隣にならんでいるのが同艦型でドイツによって完成されたバルバロッサです。主砲は…」
 説明をしながら、海軍大将は情けない気分で一杯であった。女子高生達はなぜかセーラー服にブルマという奇矯な風体をしており、短い夏を満喫するように白く瑞々しい太股をさらけ出している。些かながら海軍への冒涜を感じるが、それはいい、すごくいい。大方何事にも外国の新しい文化を取り入れる校長の性癖だろう。問題は彼女たちから時々もれる艶かしい声だ。我らが総統にして彼女たちの校長は説明など全く無視をして整列して説明を聞く女子高生達を「指導」して回っていた。指導されている彼女達はうっとりとした敬意交じりの視線を送っている。この荒廃した国で女性にとってほぼ唯一といっていい高等教育と昇進の機会を保証してくれる独裁者の機嫌を損なうなどあってはならない。糞、彼女達にこの男はかつて海軍士官の7割をあの世に送ったなどと言っても信じてくれないだろうな。
「そしてこちらに揃っているのが最新式のモスクワ級巡洋艦です。第二次世界大戦の戦訓を得て、日本とイタリアの技術協力を経て作られた船です。一対一でならばあらゆる敵巡洋艦を沈めることが可能です。この船の名前はスターリン時代に失われた領土の重要な都市に基づいており、ベリア総統はいつの日かあなた方にこれらの名前の元となった美しい町並みを見せることができるようにと…」
 一際高い喘ぎ声が響いた。ベリアの手はブルマの中へと潜っている。声を上げた少女は海軍大将が自分の身を守るために告発した妻の若き日、多くのロシア女性が迎える変化を遂げる前に似ていた。畜生め、このハゲ。国中の美少女を集める為にクーデターを起こしたという伝聞を信じたくなってきたぞ。いっそのこと…
「ん、終わったか?ところで大将。強大なアメリカ海軍を相手に日本への連絡線を維持している君の職務ぶりには満足しているよ、大いに。君も半ば実戦の最中にあって余計な雑事には煩わされたくなかろう。よければこのイリーナを君の副官にしようと思うがどうかね?何、部下の仕事状況を把握するのも仕事のうちだ。君の感じている感情は過労による一時的なものだ。私は君のことならなんでも知っている」
ああ、これからは24時間密着監視付か、畜生め。本当にアメリカとぶつかれば一日と持たない弱々しい艦隊で、精一杯虚勢を張り続ける空しさと恐ろしさについてもっと御存知いただきたいものだ。



鹿児島

「ハロウ?」
「ハロー、ミスタープレジデント」
 アメリカ大統領トマス・デューイから直通電話が入ったのは、日本では日付が変わるころであった。ワシントンでは午前の執務真っ最中といったところだ。アメリカ人らしく主だった仕事は早めに片付ける性質の大統領は目下最大の焦点である地域の総司令官に電話をかけていた。
「マイク、鹿児島の天気はどんな具合だね?」
「雨のち曇り、所によって一時日が射すところもあるでしょう。といったところです」
 第三次世界大戦で激戦地となった末にアメリカが占領した鹿児島に現在の連合軍総司令部<GHQ>はある。連合軍総司令官マイケルバーガーは大統領に対して現状を端的に述べた。
「そうか、日本はこれから雨季に入るそうだな。気をつけ給え」
「季節外れにも台風がこの弧状列島を襲うかもしれませんよ」
「まあ、核兵器を使うような事態を招かない限り、現地のことは君に任せる。君は有能だからうまくやってくれると私は確信している」
 連合国の上陸作戦発動は間近にせまっていた。
「ステーツは如何ですか、増援の見込みをお伺いしたいところですが」
「国防大臣にアイクを登用したのが漸く効いて来た。全く、国防総省の役人どもときたら今まで権力闘争でロクに仕事をしとらんな。第三次大戦ほどじゃないが、国内の工場群はガンガン動いている。空軍機は軒並みリニューアルを行っている。期待していていいぞ」
 自信に満ちた言葉であったが、それはデューイ大統領が推し進めた陸海軍省の統合が一時的には大失敗を迎えたということの現われであった。第三次世界大戦終結後に政権を取り戻した共和党は、前任者であるハルゼー大統領への批判として軍部の改革に手をつけた。それは大統領を出すことで戦争を主導した海軍への報復措置に近かったが、海軍の抵抗や独立を志向する空軍、敗戦の責任から萎縮した陸軍といった要素が複雑に絡み合って軍備の更新が大幅に滞ってしまい、初代の国防長官は精神を病んで辞任をする事態にまで発展していた。
 これを解決することになるのがアイゼンハワーであった。1955年に東アジアで枢軸陣営の侵略によって始まった戦争を前にして、機能不全の国防総省に困り果てたディーイがいい人材は居ないかと陸軍の大物退役将軍であるマーシャルに尋ねたところ推薦された人物である。アイゼンハワー本人は1945年に参謀畑の将軍として退役した老人であった。しかし、退役10年が経っており文民として議会をいたずらに刺激せずに登用が可能という点こそがデューイにとって重要であった。進退きわまっていたデューイによって登用されると、アイゼンハワーは現役時代から鈍らぬ交渉力を以って国防総省を指揮し、戦禍から回復したアメリカの国力も再び戦争の歯車をまわし始めていた。
「ありがとうございます。しかし、現在の日本の工業力では物資補給に支障を来たしそうなのですが」
「補給?うん、いくらかは本国から送っても構わんが、手間だな。まあ商務省あたりに日本復興の計画でも立案させるとしよう。とはいえ日本側からの知恵が出んことにはしかたがないかもしれんが」
「彼らの労働意欲は優秀です。先の戦災で一面焼け野ヶ原になった鹿児島でさえ今では以前よりも人口が増えて発展しているほどです。適切な支援さえあれば何度でも立ち上がってくれますよ」
「そうか、日本国はアジアを押さえる上での要石だ。ここを失えば我々の影響圏はアメリカ本土にしか存在しなくなる。アメリカの興廃はこの一戦にある。ベストを尽くしてくれ」
「ええ、大統領におかれましても」
「そう思うなら今年の選挙の前に勝ってくれ、なんていうのは政治家のエゴだな。すまない、今の言葉は忘れてくれ」
「どうせもう二期目で自ら出馬するわけでも無し、そんなに歴史に名前が刻みたいんですか?なんならクリスマスまでに終わらせるとでも言いましょうか?」
「戦争を終わらせるのは君の権限じゃない。それにな、そう言われると何故か絶対に終わらないような気がするじゃないか。私は前任者ハルゼイのように、焦ってしくじったりしたくはないからな」
 ひとしきり笑うと大統領は締めの言葉を送った。
「それではよい一日を、総司令官殿」
「おやすみなさい、大統領閣下」

(熊猫)





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